こんにちは
住宅をリノベーションして、お客さんに提供するという革新的なビジネススタイルを切り開き、
ぐんぐん成長している会社、リノベる。
皆さんも名前は聞いたことはないでしょうか?
この会社をたった数年でここまで大きくした代表取締役、山下智弘氏について、
ゼネコンで経験してきた経歴や、ラグビーをしてきた高校や大学など、今回はまとめていこうと思います。
山下智弘(不動産・リノべる社長)のプロフィールは?
出典:情熱社長
まずこちらが山下智弘氏のプロフィールになります。
本名:山下智弘(やました ともひろ)
生年月日:1974年4月12日
年齢(執筆時): 44才
出身地:奈良県北葛城郡
現住所:東京都渋谷区
血液型:A型
役職:株式会社リノベる。代表取締役
このようになっております。
今のリノベるを設立したのは2010年の4月と書いていますので、36才でリノベるを設立したんですね。
そこから8年でここまでの会社を作り上げるなんて、ビジネスセンスがとんでもなく凄いですね…
しかも中古住宅のリノベーションに特化した会社って、今まで誰も切り込んでいかなったところに切り込んだわけですからね…
どんな分野の方でも、革新的な動きをする方は本当に凄いと思いますし、かなりの苦労をされたんだろうなぁと感じるところです。
ちなみにこちらが山下智弘氏のツイッターになります。
リノベるの広告塔としても活動しているので、リノベるが気になる方は一見の価値ありですよ!
続いてこちらは山下智弘氏のfacebookになります。
誕生日の投稿とかを見てみますと、愛されている社長さんなんだな…と感じます。
山下智弘(不動産・リノベる社長)の経歴とラグビーをやっていた大学と高校を調査!
続いて、リノベる社長の山下智弘氏の経歴を見ていきましょう。
高校、、、
大阪府立香里丘高等学校
大学、、、
近畿大学理工学部卒
調べてみましたが、山下智弘氏が生まれた奈良県北葛城郡から、上記の大阪府立香里丘高校は、50kmも離れているので、
この距離を通うなんてことないと思うので、一人暮らしか寮だったのでしょうね
でも、調べてみたら、香里丘高校には寮がないんですよね。
ということは奈良から出てきて、高校から一人暮らしだったのでしょうか?
だとしたら、かなり逞しいですよね。
でも部活も力を入れていたようなので、一人暮らしをしながらというのはやっぱり難しいと思いますけどね…
後、山下智弘氏は近畿大学卒業だったんですね、
近畿大学といえば、いつも想像豊かで革新的なことをやっているイメージがあります。
例えば、このポスターなんてもう革新的な魂の塊ですよね!
まんまですよね!「固定概念をぶっ壊す。」って!
出典:プレジデントオンライン
この近畿大学で学んだからこそ、山下智弘氏がリノベるで行っている革新的なビジネスが生まれたということなんでしょうね。
続いてもう一つ気になりますのが、ガタイが良いので、何かスポーツをやっていたのかと思いましたが、
高校から社会人までラグビーをやっていたようです。
前述の高校も大学の間も、ラグビー漬けの毎日で、本格的なラガーマンだったようです。
なんとラグビーの専門誌に載ったこともあるようですよ。
それって、同世代の中ではかなりの実力者であったということですよね…
近畿大学のラグビー部は1949年創立のかなり伝統あるラグビー部のようですね。
ちなみにこちらが近畿大学ラグビー部のユニフォームになります。
これを着て、山下智弘氏もタックルをかましていたのでしょうか?
出典:近畿大学体育会ラグビー部
そして大学卒業後も、学生の部活だけでなく、社会人になってもラグビーを続けるために、
上位リーグに所属している株式会社リコージャパンに入り、社会人ラグビーで続けいたとのことです。
こちらがリコーのユニフォームになります。
またラガーマン時代の山下智弘氏の画像がこちらになります。
出典:日経ビジネスオンライン
右から二人目が山下智弘氏のようです。
たしかにラガーマンという感じは全身から感じますね、、、
しかし何と言いますか…暑苦しいですね(笑)
山下智弘氏はガチガチのラガーだったんですね
しかし、一般人の感覚では大きい体格に見える山下智弘氏ですが、
社会人ラグビー界の基準では小さかったようで、歯が立たなかったと言っています。
東京にある1軍ではなく大阪にある2軍に配属されたらしいですね、ここでおそらく本格的な挫折を味わったのでしょうね…
そして、1年でラグビーも会社もやめてしまいます。
でもfacebookによると、現在もタッチラグビーなどで汗を流しているようですよ。
上記のようにラグビーと会社を辞めた後、先輩のツテでゼネコンの現場監督のアルバイトをし、
そこで初めて建築業界に触れたようです。
そしてそこでの仕事ぶりが認められて、正社員として採用されました。
アルバイトで初めて仕事をして、そこから正社員に昇格するなんて凄いですよね。
その後、同社の企画部門に異動し、「地上げ屋」としてのしごともしていたようです。
そして、デザイン事務所、家具工房などを経て、2003年 デザイン事務所field設立。
翌2004年、株式会社es設立 代表取締役就任
そして、2010年にリノベる株式会社設立し、代表取締役就任しております。
絵に描いたようなサクセスストーリーですね、社会人までは全くこの業界に興味がなかったのに、ここまでやってのけるなんて、
もちろん本人はまだまだ成長するつもりでしょうけど、ここまでの経歴だけでも本一冊出そうな勢いですよね。
山下智弘(不動産・リノベる社長)のゼネコン時代の過去
そんな山下智弘氏の、自身のビジネスモデルである「リノベーション事業」を強く意識し始めた時のエピソードがこちらになります
Career Groove(キャリアグルーヴ)というウェブマガジンでこのように発言していました。
もともとは大手のゼネコンで、新築マンションを建築するための土地を仕入れる仕事をしていました。
そのとき、今でも強烈に記憶に残っている出来事があったんです。すでに建っていた古いマンションを解体して新しいマンションを建てるために、マンションの住人の方々に立ち退きのお願いをして回っていたときのことなんですが、
ひとりの年配の女性が、どうしても立ち退きに応じてくれなかったんです。「このマンションは亡くなった主人と過ごした場所だから、私はこれからもここで生きていく。お金なんていりません」と。
結果的にどうにか立ち退いていただけることになって、それから2年後、その場所に新しいマンションが建ったんです。
達成感に包まれてそのマンションを見上げていたら、横にその女性がいて。「いいマンションができたね」って話しかけたら、
泣いているんですよ。「あんたのやっていることは、人を幸せにしていることなの? おじいちゃんとの時間を返して!」って言われてしまって…。
自分はこの方の人生になんてことをしてしまったんだろう…と絶望しました。その出来事によって、これから何を軸に生きていけばいいのかを完全に見失ってしまったんです。
それで、しばらく会社を休ませてもらって、海外に行きました。
アメリカやヨーロッパ、アジアなど、さまざまな場所に2週間ずつくらい滞在して。お金に余裕があるわけではなかったので、知り合いのつてを頼っていろんな方の家に泊めてもらったんです。
そしたら、泊まる家々でみんなが家自慢をするんですよね。床の素材や壁の色に対するこだわりを。海外の先進国では、日本とは逆で約9割の人が中古住宅を購入するんです。
それをリノベーションするので、どの家もこだわりが感じられてかっこよかったですね。
まだ住めるマンションを取り壊してまで新しいマンションを建てる日本の現状とリノベーションが浸透しない理由を考えたときに、先ほど言った問題に行きつきました。
それをクリアできるような仕事がしたいと思ったんですけど、探してもなくて。だったら、自分でやるしかないと思ったんです。
おばあちゃんに「あんたのやっていることは、人を幸せにしていることなの? おじいちゃんとの時間を返して!」と言われたと…大きな衝撃を受けたことは容易に想像できますね…
このゼネコン時代の経験が、山下智弘氏の将来を大きく左右したんでしょうね。
今の住めるマンションをリノベーションしていく山下智弘氏の姿を見たら、そのおばあちゃんは何と言うのでしょうかね?
まさに山下智弘氏のルーツですので、今の姿を見てほしいですよね!
まとめ
以上が山下智弘(不動産・リノべる社長)の経歴とラグビーやってた大学や高校は?
そしてゼネコン時代をヒントに飛躍?のまとめでした。
まとめてみますと、、、
・山下智弘氏は中古住宅のリノベーション会社のリノベるの代表取締役
・山下智弘氏は近畿大学の理工学部を卒業
・山下智弘氏は高校から社会人までガッツリラグビーをしていたほどのラガーマン
・山下智弘氏は過去に働いていたゼネコン時代、おばあちゃんとのやり取りがリノベるのルーツ!
こんな感じでしょうか。
調べる前はほとんど知らなかったのですが、調べてみれば、
非常に興味深い人物で、更に過去も面白い経験をされているので、
どんどん気になっていきますね!
これからもリノベる、そして敏腕社長の山下智弘氏から目が離せませんね!
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。